亡くなってから約一年終わった。
印象に残っているものを探ってみた。
1 長身の美青年だった。五年前初めて逢った時は、G.I刈りがよく似合った。
2 無類の善人で、繊細な感覚の持主。
3 彼の生涯は、ピンクカラー。
以上のことが、はっきりと蘇ってくる。
繊細と正直な性格は、その儘作品に示され、特に結婚前後に最高度に甘いピンクを駆使した。
画は、甘くても結構だし、それなりに厳しさを加えて行けばいいわけだ。まして難しい顔をして流行を追って、本人のものならいざ知らず、模倣や思いつきの様な前衛絵画に憂き身をやつす必要はない。そんな画の多い時代に、正直な彼の作品には大変好感がもてた。
勿論、まだ画業の浅い彼の仕事には、力強さなどの不足による欠陥もあったことは当然だけれども、反面、作者の醸しだす高調した情景は、白日の妖しさとでもいおうか、やはりこれも立派な近代的感覚の持主の作品といえよう。
その後、彼の作品は白に還元され、本人もまた「白」から始めたといった時代の、なだらかな抽象化の中に、僅かにピンクの名残りを留めながら、おだやかで暖かい、琴線に触れる様な近代人の哀愁を、心象風景的に表現しだした。
この頃から、彼はそろそろ病魔に襲われだした。善人の彼は、ずうずうしく生きることを知らない。ますます自分自身で狭い路地にはまり込んで、振り向くことさえも出来なかったのであろう。彼の残した線を辿ってみると、みんな泣いている様に思えて仕方ながない。
薬科大学を中退し、感ずる所あって芸術に生きる道を求め、芸術の泥沼に足を踏み入れ、芸術生活はしたものの、結婚、子供、病気、生活、画業とその山脈のけわしさに、病床にあって眺めた総べては、どんなにか灰色であったことであろう。それでも画を止めることなく、「はがき」の片隅に描いた画は、静かに胸に迫ってくるものがある。
今考えると、美しい悦子夫人と結婚したピンク最盛時が、彼の生涯の最良の時代だったのであろう。絵にハートの雨などを降らし仲々の詩人でもあった。
彼の遺した作詩も大変興味あるもので、それに音楽を加えた三十年は、いつも「花と戯れ」「画と戯れ」「歌と戯れ」た華やかな一生だが、また、それなりに、はかない気もする。まだこれからだというのに、美の一端を覗かせただけで死んでしまった。